#001 サステナビリティ・トランジション研究の動向2019年版

Köhler, J., Geels, F. W., Kern, F., Markard, J., Onsongo, E., Wieczorek, A., … & Wells, P. (2019). An agenda for sustainability transitions research: State of the art and future directions. Environmental innovation and societal transitions31, 1-32.

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一言まとめ:「より持続可能な社会に向けた抜本的な社会の移行・転換(サステナビリティ・トランジション)を進めるには、さまざまな理論・方法を組み合わせ、政治・権力・正義の観点から、複雑な利害関係を調整する試みが不可欠」

 太田ゼミでは「サステナビリティ・トランジション理論」を主な理論的枠組みとして使っています。サステナビリティ・トランジションとは、より持続可能な(sustainability)社会システムへの根本的な移行・転換(transitions)を意味します。これは単なる技術革新だけでなく、エネルギーの使い方、移動手段、食料の生産・消費など、生活全般に関わる仕組みの移行を必要とします。この変革は20~30年という長い時間軸で進行すると考えられています。

 サステナビリティ・トランジション理論とは、この移行・転換を促進するための枠組みです。この理論は、この移行・転換のためには、技術革新だけではなく、政策、経済、文化、人々の日常的営為、社会通念など、さまざまな分野にわたる大規模なシステムの変革が必要であると考えます。

 ご存じのとおり、現在の社会の仕組みは、生態学的に考えて(エネルギー消費や資源利用の面などで)持続不可能な状態にあります。サステナビリティ・トランジション理論は、こうした問題を解決するためのさまざまな活動が、社会全体のシステムを変革するうえでどこに位置付けられるか、どのようにより効果的にできるかなどを示します。

 EU圏を中心に、この20年ほどでサステナビリティ・トランジション研究はかなり進んでいて、欧米の持続可能性に関連する政策ではST研究の知見が取り込まれていることが少なくありません。

 とはいえ、これだと何が何だかイメージしにくいと思うので、このサステナビリティ・トランジションでよく使われる「マルチレベル・パースペクティブ」(MLP)を使って、実際に「社会システムが変革するとはどういうことか?」を3つのレベルで分析してみましょう。下図はMLPのモデル図です。「ランドスケープ」、「レジーム」、「ニッチ」という3つの層で、社会システムの変革について考えます。

  • 「ニッチ」(萌芽的な革新の層)は、新しいアイデアや技術が生まれる場所です。例えば、大学の研究室、ベンチャー企業、先進的なNPO・NGOの活動などがニッチに含まれます。ニッチとはくぼみのことで、既存の制約にとらわれない試みができる実験室のようなイメージです。
  • 「レジーム」(既存の支配的なシステムの層)は、現在の社会を支える主要なシステムです。例えば、現在の自動車産業、電力網、食品産業などがあげられます。また、人々の日常生活や、文化、社会通念なども含みます。安定していますが、先述のとおり、持続可能とはいえません。また、変化に抵抗する傾向があります(「経路依存性」)。
  • 「ランドスケープ」(広範な社会経済的背景の層)は、社会全体の大きな流れです。例えば、気候変動、人口動態の変化、経済のグローバル化、文化的価値観の変化などがあげられます。長期的に大きな影響力を持ち、レジームを不安定化させることがあります。

 さて、システムの移行・転換は一夜にして起こるものではなく、時間をかけて段階的に進行します。例えば、パンデミック期のリモートワークの広がりについて考えてみましょう。

① カメラ・マイクなどの性能が向上し、ZoomやSkypeなどのサービスが充実する(「ニッチ」での新技術の成長)② 2020年、Covid-19の世界的な大流行で、対面勤務・移動が困難になる(「ランドスケープ」が変化し、安定していた「レジーム」が不安定化する)

③ それまでリモートワークに乗り気でなかった企業、大学などで、オンラインでの活動が広がり、人々の習慣や規則が変化する(不安定化した「レジーム」が「ニッチ」の新しい技術を取り入れる)

④ パンデミックが収束しても、2020年以前に比べるとリモートワークは人々の習慣や規則のなかで選択肢の一つとして残り続ける(「レジーム」が更新される)

 本論文では、マルチレベル・パースペクティブ(MLP)だけでなく、テクノロジカル・イノベーション・システム(TIS)、戦略的ニッチ・マネジメント(SNM)、トランジション・マネジメント(TM)といった主要な理論枠組みを総覧し、それぞれの特性や歴史的背景を丁寧に概説しています。いずれの枠組みにおいても、新たな技術や文化的実践が実社会で浸透していくプロセスを「制度」「政策」「市場」「個々人」などの多層的要素として捉え、時間をかけて進む変化のメカニズムを解明しようとする点が共通しているのが特徴です。

 サステナビリティ・トランジションは当初、再生可能エネルギーや電気自動車の普及といった「技術寄り」のトピックで注目された経緯がありますが、今日では建築、廃棄物管理、農業、水資源管理など様々な領域に適用されるようになりました。さらに都市・地域単位での実験的プロジェクトや、先進国だけでなく新興国や途上国における事例検証も増えています。本論文の大きな特徴は、そうした拡大する事例を通じて、これまで一面的に扱われがちだったガバナンスの視点や、政治・権力闘争、さらに正義・倫理の問題、地理的なスケールの違いなどを正面から取り上げている点にあります。

 ポイントは(くり返しになりますが)持続可能性に関する課題は、革新的な新技術を導入すれば解決するというわけではなく、産業界や行政、市民社会が参加し合う形で、社会全体の制度や慣習を含めた大きなシステムをどう再設計するかが重要になるという考え方が強調されます。MLPやTISなどの分析枠組みに基づいたケース研究や、SNM、TMにおける政策支援・社会実験の試みが各国で積み重ねられてきたことによって、こうしたマルチレベルでのアプローチが理論的にも実践的にも一定の効果を上げていることが検証されつつあります。しかし、実際には各国・地域の政治経済状況や文化的な特性が大きく影響するため、「何が成功し、何が失敗しているのか」を事例を通じて比較しながら、枠組みの有効性や限界が検討されています。

 論文の後半では、サステナビリティ・トランジションの障壁となる既存制度や大企業の抵抗をどう克服するのか。あるいは、サステナビリティの名の下に推進される技術革新が貧困層や脆弱なコミュニティを置き去りにするリスクがあるのではないかといった正義・倫理の観点が、重要な論点として指摘されます。さらに、超学際的な(transdisciolinary)手法の活用不足や、定量モデルと定性分析の統合など、方法論的に未解決な課題も多く示されています。こうした課題に対しては、政治学や社会学、経営学、さらには地理学などの知見を取り込みながら、研究者と政策立案者、さらに市民社会が連携していく必要があるだろうという議論がなされています。

 本論文では各テーマに関連して参照すべき文献のリストや、今後の研究に向けた具体的な着眼点が数多く提示されています。サステナビリティ・トランジションに関する特定のテーマをさらに掘り下げたいと考えた時に、この論文が示す先行文献のリストは非常に役立つはずです。

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